ジャン・フランソワ・コワニエ

ジャン・フランソワ・コワニエは、フランスの鉱山学校を卒業したのちに、生野銀山の近代化をめざす明治新政府によって、明治元年にフランスから生野鉱山へ招聘されました。生野鉱山の調査や施設の近代化などに力を注ぎ、生野に滞在した約10年間で火薬爆破の導入、軌道の敷設、巻き揚げ機の設置などに尽力し、生産力を増強させました。

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